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試と誠

先日の記事『新選組!』再鑑賞 第21回では、京にて留守番組だった土方歳三@山本耕史には全く触れなかったのですが、上半身、裸になって体を拭くシーンを見て、すごいな~この筋肉、お梅@鈴木京香さんにも言われていたけれど、色が白いな~とか、土方とはあまり関係ないことを考えていました(笑)。

ところで、この21回で誠の旗が登場します。山南や近藤たちが留守の間に、土方は藤堂平助@中村勘太郎や旗持ちとなる尾関雅次郎@熊面鯉に出来上がった旗を見せます。
誠にした理由に、誠の道を進む近藤先生にふさわしいということ、そして
風になびけば、試みるという字に見えなくはないし。
と、土方が旗をなびかせるんですけれど、ちょっと無理があるかな(苦笑)。
試みるの試は試衛館の試なんです。

これもあって、また山南敬助が主人公である小説『新撰組 山南敬助』が復刊されるとなって、山南敬助が主人公である短編小説を思い出しました。早乙女貢氏の『散りてあとなき』です。

試衛館の時代から、土方歳三はどうしても山南敬助とは性格的に合わず、山南を受け入れることができず、目障りであった。苗字が本当は山南と書いてヤマミナミであるのに、人はヤマナミと呼んだり、サンナンと呼んだりすることも気に入らず、正式はどっちなんだと突っかかったり。しかし山南はそんな土方のことは気にせず、軽く流していた。試衛館にいる時にはそれでよかったが、新選組となってからは、山南も流してばかりではいられなくなる。新選組のため、また自分の立場上、元々の性格から、意見する。そのためにどんどん土方と確執が生じてくる。山南を尊敬していた近藤であるが、やはり多摩のつながりは強いと言ったところだろうか。
芹沢鴨の暗殺には仕方なく参加したが、納得できない。体調が悪くて池田屋事変にも参加できず、伊東甲子太郎の入隊によってさらに疎外感を感じ、そして決定的だったのが西本願寺への移転問題。ついに山南は脱走した。インテリで線の細い山南は新選組という組織の中にいるのには耐えられなくなった。

このように、山南敬助と土方歳三の確執を描いた内容であります。

その確執の原因の一つにこのようなことがあったのです。
この小説では、近藤勇の天然理心流の道場の名前は誠衛館であったのです。ある日、看板を新しくするのに、土方が自分より書くと言い出し、誠衛館と書いた。
しかし字が崩れ、お世辞にも上手いと言えなかった。そしてそれは試衛館とも読め、
「誠衛館でなく、試衛館だ」と言った者もいた。
土方はそれを言ったのが、山南だと思い込んでいた。

物語の中では真実は明らかにされていないのですが、山南ではないと私は思う。

誠衛館が試衛館と読まれたという小説の中での話と、ドラマ『新選組!』においては、誠が試衛館の試にも見えないということもあって誠にしたという話。
面白いな~なるほどね~と、思った次第です。

『新選組!』の土方歳三は、壬生浪士組という看板は山南敬助に書いてもらっていました。『散りてあとなき』の土方も、素直に山南敬助に誠衛館と書いてもらっていたら、試衛館と読む人もいなくて済んだのに(苦笑)。
by eri-seiran | 2007-05-26 10:21 |  本

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