『山南敬助 赤心記』において年譜をアップ

タイトルの通り、山南敬助 赤心記の方の年譜をアップしました。

この年譜については、こちらの記事を編集したものです。はい、1月にこの記事を書いたのは、すでにホームページを開設にするにあたり、下準備をしていたというわけです(苦笑)。
どこまで取り上げようか、ピックアップが難しく。山南本人の出来事ではなくても、近藤、土方、沖田、井上、そして山南の5名宛に多摩の人たちから書簡を送っていることなどもありますし、それは山南の病のことなどを語る上で無視できない出来事でもあります。
しかし山南が書簡を受け取って、読んだかはわからないので、省きました。
今回、アップした年譜では、残っている記録で、山南に直接に関することに限らせて頂きました。それにしても、文久3年(1863)の秋から亡くなる元治2年(1865)の亡くなるまでの山南に関する事柄の少ないこと(涙)。
だからこそ、この方の死が謎なわけなんですけれどね。

昨夜、一応、出来上がったのですが、元治2年(1865)2月23日のことをどのように書くか、ずっと悩んでいて、それだけのことに1時間ばかり費やしました。ブログの記事の通りに切腹(自刃)と書こうか、切腹、或いは自刃したと書こうか。
自ら命を絶ったと書こうか。
悩んだ末に、そのように云われているのだから、年譜の方は素直に書くことにしました。とは言っても、やはりちょっと素直でない書き方をしております(汗)。
西村兼文は自刃と記録には残していますし。

今回、これまでとは違って、形が崩れにくいという方法で作っています。またホームページを作るには美的なセンスが必要だということを、ホームページを作るにあたり、教えられましたが、私にはなかなか難しい(苦笑)。
ですから、読みにくいなどありましたら、遠慮なく仰ってくださいね。率直な厳しいご意見、ご感想もお待ちしております。
ホームページ開設のお知らせでも書きましたが、それは山南敬助と自分のためでありますので、よろしくお願い申し上げます。
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by eri-seiran | 2007-06-11 10:41 | 山南敬助 赤心記

山南敬助をメインにしたブログです。ホームページ『山南敬助 赤心記』共々よろしくお願い申し上げます。


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