歌舞伎座120年と言うことからあれこれ
2008年 01月 28日
孝太郎さんも120年という節目で、またおめでたいお正月を歌舞伎座で迎えられることは幸せであると仰っています。
私は歌舞伎座誕生120年と言うことから、歌舞伎とは関係ないところに反応してしまいました。
その時、永倉新八や斎藤一は東京に居たんだ
と言うこと。
120年前と言うことは明治22年(1889)。斎藤一については東京にいたのは確かだと思ったんですけれど、永倉新八は北海道と東京を行ったり来たりしていたので、よくわからなかったのですが、調べてみたら、この頃は東京に居たようです。
また明治22年と言えば、西村兼文が『新撰組始末記』を脱稿しています。
私的には斎藤一や永倉新八の歌舞伎鑑賞というイメージがわかないんですけれど、こればかりはわからない(苦笑)。
この1年前の明治21年(1888)の10月14日、中村座へ新選組と関わりがあった松本良順が歌舞伎鑑賞に来ていたことを佐倉藩士であった依田学海が『学海記録』に記しています。
私的には松本良順の歌舞伎鑑賞には納得(苦笑)。
その時に、松本良順が山南敬助の切腹について依田学海に語ったと言うんです。
これについては以前に記事にしています。こちらより
歌舞伎鑑賞で出逢って、山南敬助の切腹について語ったなんって。これを記事にした時、私自身が歌舞伎にはまっていなかったので、そんなことはどうでも良く、松本良順が語ったと云われることだけについてあれこれ考えていたんですけれど、今は何とも言えない縁を感じたり。
この時に出演していた歌舞伎役者として、團十郎と菊五郎の名前が挙がっており、調べてみると、九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎になるようです。
この九代目團十郎と五代目菊五郎は明治時代に活躍したそうで、その二人は同じ明治36年(1903)に亡くなり、九代目團十郎の葬儀を取り仕切ったのが川上音二郎とか。
そして松本良順が歌舞伎鑑賞に来て、山南敬助の切腹について語ったのが10月14日(明治21年のことなので、すでに太陽暦)。
前回、この件について記事にした時には気付かなかったのですが、10月14日と言えば、大河ドラマ『新選組!』にて見事な切腹を遂げる山南敬助を演じた堺雅人さんの誕生日。
偶然のなにものでもないんですけれど、なんだかね~不思議な縁を感じずにはいられませんよ。