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第2回山南忌~夢のような贅沢な一日~

雪が舞い、そこまで春が来ていたのに冬に逆戻りした天気のもと行われた昨年の第1回山南忌。今年は打って変わって春らしい陽気に包まれて、第2回山南忌が行われました。
143年前に亡くなった山南敬助のために、多摩を初め、多くの方たちが集まってくださいました。
みなさん、とてもとても温かい人たちばかりでした。
だからこそ、温かい法要、記念式典でした。

5年前にはもちろん、そして山南敬助をメインにしたブログを始めた約2年半前も、京にて山南敬助の法要が公に行なわれ、そのために多くの方が集まってくれるなんって夢にも思っていませんでした。
20年以上も心の片隅で想い続けたら、いつか報われる日がくるんだな~と改めて思いました。こんな夢のようなことがあっていいの?とても贅沢でこんなに幸せを感じていいの?と思った一日でした。
夜の懇親会にも参加させて頂き、その後、2次会、3次会と行き、日が変わってから帰途についたんですけれど、帰りの電車の中、一人になって涙が出そうになりました。

そんなとても夢のような第2回山南忌についてです。

私は11時過ぎに壬生界隈に着き、光縁寺へ。
久しぶりだ。最後に来たのはいつだろう?去年の5月かな?
江戸や大坂で山南敬助を度々感じているけれど、京で山南を感じるのはなんか久しぶりだ。一番近いのに(汗)。
墓石の前、本堂で手を合わせ、光縁寺を出たところで、神変紅丼のレッドさんと合流。そして一緒に旧前川邸へ。去年と同様に山南が切腹したと云われている部屋に丸に右離れ三つ葉立葵の家紋がついている黒の羽織が掛けられており、そちらに向かってお焼香を上げました。
その後、第2回山南忌記念グッズを申し込み、他のグッズも色々とチェック。
そして参加した人全員が頂いた第2回山南忌の記念品は去年とは色違いの紅色の桜の手ぬぐい。今朝、去年のものと一緒に記念撮影。
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その後、レッドさんとランチを取るために四条大宮駅近くまで行き、ランチを食べられるところが少ないエリアの中で、見つけたイタリアンレストランPiccolo Giardino(ピッコロジャルディーノ)へ。12時開店なのにちょっと早く着いて(と言うか、私が開店の時間をチックしていなかったのです)、待っていたところ、親切にも中に入れてくださいました。とても感じのよいおしゃれなレストランで、前菜もスパゲッティもパンもコーヒーもグラスワイン(苦笑)も美味しかったです。山南敬助からレッドさんも好きな連続テレビ小説『ちりとてちん』にTVドラマ『新選組始末記』など話は尽きません。
こちらのエリアはランチを食べるところがなかなかないようで、1年前、京生まれで京育ちの友人らに、壬生・四条大宮でランチを食べられるレストランを尋ねたところ、難しいとの一言でしたから。と言うことで、旧前川邸から少し離れているにも関わらず、メイン道路から離れるにも関わらず、私たちと同じように山南忌に参加されている人たちなんだろうな~と思われるお客さんで一杯でした。

13時半からの記念式典は壬生寺会館で行なわれました。まず全員での黙祷があり、田野十二雄氏による開会の挨拶があり、来賓を代表して新人物往来社の大出俊氏の挨拶がありました。

島原の司太夫による『黒髪』の奉納舞
去年も拝見させて頂いたのですが、しっとりとしていてとてもとても素敵な舞であり、また司太夫もとてもとても優しい素敵な方でした。ファンになっちゃいましたよ。

その次はさくらさくらカンパニーによる芝居『山桜幻想』
平成17年(2005)の2月に上演された『さくらのごとく~新撰組桜真説~』と、今年の4月に大阪にて上演される『北天幻桜~土方雪想夢~』を繋ぐ物語ということで、どの時期のことが描かれるんだろうと思っていたんですけれど、土方たちが京を離れる時のことでした。
土方たちは京を離れ、そして最終的には上方を離れ、江戸に帰り、山南が京に残ったのは史実。今回、山南は登場しませんが、土方歳三、沖田総司、明里の3人によって山南敬助のこと、また3人の山南敬助を想う気持が丁寧に描かれていました。
芝居を見せるという点ではやりにくかったと思われる会場、また限られた時間で演じるということなど大変だっただろうと素人ながら思ったのですが、とても素敵なお芝居になっていました。
またさくらさくらカンパニー方々もとても気さくで素敵で、ファンになってしまいました。
そして山南がこのように大事に描かれた芝居を見せて頂き、本当に感謝、感謝です。

記念講演は幕末維新史研究家の多田敏捷(ただとしかつ)氏による『新選組と前川邸』でした。大変、勉強になりました。
この方のモットーが、自分の目で当時の記録を見て確かめるということ。とても大事なことだと思います。
何故に浪士組の宿が壬生村になったのか、前川邸にどれだけ力があったのか、何故に西本願寺が第二の屯所となったのかなどなど。西本願寺が第二の屯所となった理由は色々とありますが、それだけでは納得できない、ちょっと違和感が私の中にありました。そこには西本願寺になったのは云われている理由の他にもっと一番の理由があるのではないか、また新選組が直接、西本願寺に頼めるのかな~というものがあったのです。今回の話しを聞いて、納得できました。
それから諦めてはいけないということを教えられました。まだまだ新選組に関する新たな記録が出てくる。山南敬助についてだって出てくるかもしれないと。いや探せば出て来るはず。

第1回の山南忌でも披露してくださった撥雲会の皆さんによる天然理心流の居合演武。近藤勇(宮川勝五郎)と井上源三郎の子孫である宮川清蔵さんと井上雅雄さんの居合演武を見ながら、このように山南敬助も近藤勇や井上源三郎を相手に天然理心流の剣術を学び、また新年の稽古などで立合ったんだよな~って、想像できない山南敬助の姿をなんとなくお二人に重なり合わせていました。

その後にお楽しみの抽選会があり、記念式典は閉会されました。

17時半からは、山南敬助が眠っているすぐ横にあるアークホテルで懇親会がありました。
全員で100人ほどの参加だったようです。
そこには多摩の近藤、土方、源三郎、佐藤彦五郎の子孫の方々を初め、新選組関連の本を書いている方々など。また参加できなかった小島鹿之助の子孫の方からは電報が届いておりました。
山南敬助はとてもとても嬉しかっただろうな。喜んでいるだろうなと。私自身、そのような場に自分が出席させてもらったことにとても幸せを感じました。

また山南敬助のために集まった方々と多くの出逢いがありました。
去年の山南忌以来、逢えた方々。
今回、初めてお逢いした方々。
その中でも一番驚いたことがあって。
このブログの原点になるとも言える某掲示板上で4年前に出逢っていた方と、偶然にも直接、お逢いすることができました。こんなことってあるんですね。
まさしく山南敬助が導いてくれたんだ。

そしてそれは、山南敬助に限らず、近藤勇や土方歳三ら初め新選組のメンバーらがこのような場に導いてくれたような気がします。
本当に夢のような贅沢な一日でした。
第2回山南忌を行うに当たって、尽力された田野氏、また光縁寺に壬生寺など多くの関係者の方、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。
また今回の山南忌でお逢いした方々、お疲れ様でした。一緒に楽しい一時を過ごすことができました。また来年も山南忌でお逢いしましょう。

追記:旧前川邸のサイトで、第2回山南忌の様子が写真付きでアップされています。こちらより
by eri-seiran | 2008-03-10 16:02 |  イベント

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