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安政の大地震が起きた時

ここ数日間、記事のアップが怠っているように凄まじい日々だったのですが、大河ドラマ『篤姫』だけはリアルタイムで観れました。

安政の大地震の凄まじいシーンを観ながら、山南敬助はこの時、どこにいたのだろう?と考えたり、また1万人ほどの方が亡くなったと知って、山南も近藤勇も沖田総司も土方歳三もよくご無事でいてくれたものだと思ったり。

安政の大地震が起きたのが安政2年(1855)10月2日夜の四ツ刻(午後10時)。この時、上記の4人の年齢は一般的に云われている生年で考えると

山南敬助 23歳
近藤勇   22歳
土方歳三 21歳
沖田総司 14歳


でございます。

そしてこの4人がどこに居たかということですが、近藤はすでに近藤周斎の養子となり、試衛館に住んでいました。総司も遅くとも13歳までには内弟子として試衛館に預けられたと云われていますので、試衛館に住んでいました。と言うことはこの二人は多摩とかに出掛けていない限り、江戸にいただろう。
土方は、この頃、石田散策などの行商をしていたと云われています。多摩地方を中心に回っていたかのかな?しかしどこか遠い所にいたとしても、日が経ってから地震のことは聞いただろうし、近くにいても遠くにいても、実家や佐藤彦五郎宅など多摩は大丈夫かと思い、慌てて帰っただろう。
さて山南敬助です。小野派一刀流の大久保道場にいたか、すでに辞めていたか、辞めていたらどこにいたかということになるんですが・・・
師の大久保九郎兵衛が病で亡くなったのが、地震があった翌年の安政3年(1856)3月。師の大久保が生きている間は大久保道場にいたと考えれば、地震が起きた時に江戸にいたならば、大久保道場、そこからそれほど遠くない所にあっただろうと思われる住居、それらの周辺にいただろう。
後、坂本龍馬らのように、国と江戸を行き来していたとしたら、地震が起きた時に江戸に居なかったかもしれない。仙台にいたかもしれない。遊学のために諸国を回っていたかもしれない。しかしどちらにしても江戸に本居地はあったはず。地震が起きた時に江戸にいなかったとしても、大久保道場や自分の住まいのこと、また知人たちのことが心配になってすぐに帰れる状況であれば帰っただろう。

とにかく山南敬助はじめ皆さん御無事で何よりでした。

『篤姫』での安政の大地震のシーンを観ながら、このように山南敬助らについて考えていたのですが、一方、篤姫様のお相手のこのお方はどうしていたのだろうと考えていました。
観たかったな~安政の大地震が起きた時、怯える、逃げ惑う徳川家定@堺雅人。
by eri-seiran | 2008-04-29 09:30 |  出来事

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