篤姫の波乱万丈の生涯

1月31日に連続小説ドラマ『ちりとてちん』の徒然亭四兄弟に逢いたいために、初めてNHK大阪放送会館に行った時、その隣に大阪歴史博物館があることを知りました。そしてその後、そこでNHK大河ドラマ特別展『天璋院篤姫展』があるということを知って、これは行かなければと思っていました。期間は4月19日~6月1日まで。
と言うことで、これだけの目的でも大阪まで行こうと決めていましたが、舞台『幕末殉教伝 イエス斬り捨て』を観に行くことになり、これが休みの日の19時からの鑑賞。
と言うことで、舞台鑑賞前に見ることに。仕事が休みの日だったのですが、朝から所用があり、それに取りかかるのが遅かった上に、思った以上に時間が掛かり、結局、大阪歴史博物館に着いたのが15時半。閉館が17時なので、ちょっと急ぎ足で拝見。

大河ドラマ関連の展示物を拝見するのは、大河ドラマ『新選組!』以来。今回の展示鑑賞も平成16年(2004)を思い出させてくれました。あの時は京都にて。展示物の拝見のみと、また後日に同じ場所で小島政孝氏の講演を聞きに行った時も確か前期と後期では一部入れ替えがあったので再び拝見しました。あ~懐かしいや。

さて今回も前期と後期と一部入れ替えがあるようですが、私が見たのは前期となります。展示の構成は

プロローグ 篤姫のふるさとと薩摩
第1章 御台所への道のり
第2章 婚礼~将軍家定と敬子~
第3章 江戸城大奥
第4章 幕府瓦解~徳川存続への思い~
エピローグ 明治の天璋院


となっていました。
平日なのに人も多く、大河ドラマ『篤姫』への人気の高さが窺われました。一番、興味があったのは第2章と第4章。
徳川家定画像は初めてでした。画像を見る限りでは端整な顔立ちという印象を受けました。
他に家定関連のものでは、徳川家祥元服御用控 御檜扇に、徳川家定奉納 太刀に、徳川家定筆 松図等など。 

天璋院関連で特に関心があったひとつが天璋院から徳川家茂宛の書状。これは文久3年(1863)4月下旬から5月頃にかけてのものだそうです。まさしく山南敬助ら試衛館のメンバーが壬生浪士組として、徳川家茂のために京に居た時であります。家茂の体のことを気遣うなどの内容。ドラマでも出てくるのかしら。
それから戊辰戦争の時、天璋院から官軍隊長宛の書状。今は官軍である薩摩出身の天璋院が徳川家の人間として、徳川存続のために書かれた文は胸が詰まります。また徳川家は滅びるようなことがあったら、家定公に申し訳ないといった家定公への想いも感じられました。

大河ドラマ『篤姫』の第19回における「篤姫紀行」は篤姫が暮らした城でした。そこで篤姫の婚礼品も紹介され、贅沢を尽くした大奥での暮らしぶりを今に伝えるという語りがありましたが、まさしくその通りと思える天璋院の所用が展示されていて、すべて豪華なものばかり。ドラマの中で幾島が西郷に最高級の品を揃えるように言っていましたが、将軍の正室となり、大奥に入るためにはそうしなければならなかったんだな~と、拝見しながら改めて思いました。

篤姫(敬子)が第13代将軍の正室となり、家定が亡くなった後も家茂、慶喜などその後の徳川家を支え、徳川存続に力を注ぎ、明治以後も徳川家人間として生きた波瀾万丈の生涯が窺われるものとなっており、見応えがありました。
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by eri-seiran | 2008-05-17 21:14 | 歴史

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