関門海峡に歴史あり~自分編~
2009年 01月 18日
関門海峡に歴史あり~高杉晋作編~
ときて、
関門海峡に歴史あり~自分編~
というタイトルはおこがましいのですが、関門海峡は自分にとって国境であったと改めて思ったのです。
自分、南九州の生まれ育ちで、高校卒業後は九州脱出を狙っていました。生まれ育った町が嫌だったわけではなく、歴史の都である京都に行きたいという気持ちも強いと同時に、全く知らない土地に行ってみたいという気持ちもありました。
そして運良く京都にある大学に合格し、九州を脱出し、憧れの京都に住めることになったのです。夏休みや冬休みには実家に帰って来ました。今は飛行機で行き来することが殆どですが、その頃は電車が殆ど。だからこちらから帰る時、寝台列車、あるいは新幹線が関門海峡トンネルを抜けて九州に入ると、もう故郷に帰って来た気分になる。門司の景色が懐かしく思える。まだまだこれからが遠いというのに。博多弁とかも懐かしく。
また反対に京都に帰る時には門司から関門海峡に入ると、ちょっと淋しい気持ちになる。
そんなものが自分にありました。
今回、そんなことを思い出し、関門海峡って自分にとって大きかったんだと改めて気付いた旅だったりしたわけです。
さて今回の旅、2日目の午前中には門司を散策し、3日目は城下町長府にも行き、ここもなかなか素敵な所だったのですが、今の自分に余裕がなく、記事にはできそうにありません。しかしひとつだけ。この長府にも高杉晋作ゆかりの地がありました。
功山寺です。
長府毛利家の菩提寺であり、また毛利元就に追われた大内義長が自刃したところでもあり、元治元年(1864)に高杉晋作が挙兵したところであります。
静かで重みを感じる所でした。ここには馬に乗った高杉晋作像があり。
行く約10時間前に決め、下調べもあまりしなかった旅でしたが、楽しかったです。
迷った時にはまず行動した方が良いということがわかった旅でもありました。
2日目の夕暮れ時、下関駅から歩いて約10分の所にある海峡ゆめタワーからの景色です。この景色には感動でした。夕暮れ時を待った甲斐があったというもの。