人気ブログランキング | 話題のタグを見る

山南と共に歩く板橋宿

4月27~28日の1泊2日で江戸に行けると決まってから、28日は3月の山南と共に歩く傳通院から板橋の続きだと決めていました。
しかし江戸に行くため、また1泊2日するため、仕事において体力的に無理したこと、また前日の俳優祭で体力を使い果たしたため、さあ~山南と共に板橋から京に向って中山道を歩くぞ!というエネルギーが体力的にも精神的にも残っておらず、28日は朝から宿でどうしようか?と悩んでいました。新宿に泊っていたので、新宿辺りを散策するのもいいな~と思ったのですが、ここは自分を奮い立たせ、いざ板橋へ。

JR板橋駅を降りると、約1ヶ月前とは違う風景。駅前のあちらこちらに新選組の文字。
一番に目に入って来たのがこれです。
山南と共に歩く板橋宿_a0044916_15362357.jpg

5月24日の日曜日だそうで、毎年、行われているようです。
詳しいことはこちらより

前回の最終地点だった寿徳寺境外墓地、約1ヶ月前は桜の咲き始めでしたが、桜に代わりつつじがきれいに咲いていました。1ヶ月の間に季節が移り変わっていることを実感しました。
ここから旧中山道に入り、京に向かって歩きます。今回、下準備をあまりしていなかったので、よくわかっていな状態で、歩き始めた辺りは史跡もないし、あまり幕末も感じられないし、やっぱり歩く気力もないし、JR板橋駅まで引き返して新宿に帰ろうかな~という気持ちもあったのですが、ちょっと頑張って歩いていたら思ったんです。山南敬助ら試衛館のメンバーは、傳通院から京まで15日間かけて歩いたわけです。仲の良い少人数の友達同士だけで歩いていたわけではないし、歩くペースは決まっていたわけだし、しんどくても休みたい時に休めたわけではないし。しんどい時もあっただろう。けれどそれでも歩かなければならなかったわけで。そんなことを考えたら、自分のしんどさなんってたいしたことないわと思えてきて。単純なのです(笑)。
自分もたいしたことのないしんどさを乗り越えて歩いていると、国道17号線に出ました。そして首都高速中央環状線の下を通ってここより板橋宿です。
山南と共に歩く板橋宿_a0044916_15201491.jpg

ここからになります。

幕末をちょっと感じられる通りになってきました。この通りの右手側は加賀藩下屋敷跡だったそうで、21万7千坪余りの広さ。坪で言われてもあまりわからないのですが、地図を見ている限りすごい広さです。加賀公園とかありましたが、ちょっとスルー。
今回の一番の目的地である近藤勇が官軍に投降した後に幽閉されていた平尾宿脇本陣跡です。
山南と共に歩く板橋宿_a0044916_15233069.jpg

板橋地域センターと観明寺の間にある脇道をちょっと入った住宅街にあります。この辺りね。

体がちょっと震えました。近藤勇に関するゆかりの地でこんな気持ちは会津の近藤勇の墓を訪れた時と一緒。この碑の前に立った時、今回、しんどいと思いながらも板橋宿を歩いてやっぱり良かったと思えました。
ここで監禁されている間、どんなことを考えていたのだろう。悔しかっただろう。
文久3年(1863)2月、浪士組として試衛館のメンバーと共に京に向かってこの地を歩いていた時、この地にこのような形で帰ってくるなんって思いもしないわよね。

今回、本当に下準備をしておらず、わずかな資料だけであり、山南と共に中山道を歩けて、板橋宿本陣跡と平尾宿脇本陣跡が確認できたらいいやと思いながら歩いていたら、いたばし観光センターが旧中山道から少し脇道にそれた所にあり、寄りました。そしたら休館日。しかし同じ館内にある板橋地域センターは開いていたので、様々な資料を頂き、また展示物のコーナーも電気をつけてくださり、観ることができました。

そしていたばし観光センターから10分弱ほどの所にある板橋宿本陣跡です。
山南と共に歩く板橋宿_a0044916_15274996.jpg

この辺りね。

本陣跡から少し京に向かった所にある中宿脇本陣には和宮が14代将軍家茂公へ降嫁する時に宿泊したそうで、石碑がありました。
山南と共に歩く板橋宿_a0044916_15294778.jpg


そしてこれが石神川に架かる橋です。
山南と共に歩く板橋宿_a0044916_15305789.jpg

山南と共に歩く板橋宿_a0044916_15312637.jpg

板の橋が架けられていたことが、板橋という地名の由来だそうで、『義経紀』などの文献にその名が登場するので、古くからあったのではないかということです。
山南敬助らも石神川に架かる橋を渡り、京に向かったのです。
板橋という名の由来はこの川に架かる板の橋が・・・と語る人がいるとしたら、それは山南だろう。そして板の橋なんってどこにでもあるではないかと土方あたりが言っていただろう(笑)。

新緑がとてもきれいでした。橋から撮影。
山南と共に歩く板橋宿_a0044916_15315399.jpg


そしてこの橋から5分弱で縁切榎に辿り着き。

悪縁は切ってくれて、良縁は結んでくれると云われ、江戸時代から板橋宿の名所として知られていたようで、また和宮が降嫁の時には縁起が悪いと言って、迂回したそうです。ちなみにこの縁切榎は3代目とか。
山南と共に歩く板橋宿_a0044916_15344195.jpg

縁切榎までは頑張って歩こうと決めていまして、明日からの仕事を考えて、今回はここまでにすることにし、最寄りの駅であった都営三田線板橋本町駅から巣鴨駅、そしてJRに乗り換えて、新宿駅まで戻りました。
初めはモチベーションが低かったわけですが、歩き終わるととても楽しく、充実した江戸での2日目となりました。
by eri-seiran | 2009-05-05 14:35 |  ゆかりの地

山南敬助をメインにしたブログです。ホームページ『山南敬助 赤心記』共々よろしくお願い申し上げます。


by eri-seiran