道行の二人

御園座での吉例顔見世は通し狂言仮名手本忠臣蔵でございました。
孝太郎姉さんは昼の部での『道行旅路の花聟』のお軽、そして夜の部の『六段目与市兵衛内勘平腹切の場』のお軽であり、相手役の勘平はどちらもお父様の仁左衛門さん。腹切の場のお軽@孝太郎は1年前の10月の平成中村座で観ていたのですが、道行のお軽は初めてでした。
勘平がお父さんで道行を演じるのは平成7年(1995)の1月、中座で演じた以来だそうです。平成7年と言えば、阪神大震災があった時。余震で揺れているのがわかり、勘平@仁左衛門に幕が閉まるまで絶対に動くなと言われたそうです。この時、孝太郎姉さんは大阪に居たんだ。舞台があったんだ。
この時の勘平@仁左衛門とお軽@孝太郎の二人が寄り添う写真を見て、いつかこの演目をこの二人で観たいと思っていたのです。

道行では恋人同士、六段目では夫婦になっている二人。その違いを見せなければいけないと仁左衛門さんが語っていますが、その違いは伝わってきました。女の実家に向かっているわけで、だからもう夫婦になる寸前ではあるのです。もうすっかり夫婦気取りなんです。しかしなりきれていない感じ、若さがありました。そして道行の最初の方は私の実家がある山崎に一緒に行きましょうとお軽の方がリードしているように感じられます。まあその通りだろう。二人は主君の塩冶判官が高師直に刃傷に及んだ折、逢瀬を楽しんでいて、そのためにその場にいなかった自分を勘平は責め、切腹しようとしたのをお軽が止め、鎌倉からお軽の実家がある京の山崎に向かっているのだから。お軽としてはこの人を死なせたくない、自分がしっかりしなければという気持ちがあったからこそ、リードしていたわけで。
旅の途中、お軽に横恋慕していた鷲坂伴内@亀蔵が勘平を捕らえてお軽を自分のものにしようと追いかけて来て、勘平がそんな伴内や伴内の手下らをやっつける時なんか、尻に引かれていた感じの勘平がとても頼もしく見えて、お軽もそんな勘平に惚れ直したようで、この後は勘平も自分がしっかりしなければという感じになって、お軽にもこの人は死なないわ、もう大丈夫という表情が見えて、幸せに旅を続けことになり、こっちまで嬉しく幸せな気持ちになりました。まあ~この後に悲劇が待っているのですが(涙)。

さて忠臣蔵と言えば、近藤勇が好きだったとか。
だから、大河ドラマ『新選組!』の第20回でも近藤勇@香取が「赤穂浪士が大好きなんです」と言ったりするわけで。
山南敬助が切腹した時に近藤が「浅野内匠頭でもこうみごとにはあいはてまい」と言ったという逸話があるわけで(永倉新八談)。

そして今回、道行を見て、『組!』の山南敬助@堺雅人と明里@鈴木砂羽は道行の勘平とお軽だったのかということに気付きました。
道行の場所は東海道の戸塚辺り。富士山を望むことができる山中。舞台にはバックに富士山の絵。そして満開の桜と菜の花。
『組!』の山南と明里と言えば、富士山に菜の花。ドラマでは桜は菜の花に負け、関係なかったけれど、史実の山南と言えば桜です。
勘平とお軽は鎌倉から京の山崎を目指し、山南と明里は京から江戸を目指しました。勘平とお軽は目的地に辿り着きましたが、山南と明里は辿り着きませんでした。勘平とお軽は富士山を見ることができました(この二人にとって富士山を見ることは重要でなかったかもしれません)が、山南と明里は見たかった富士山を見ることができませんでした。
ただこの二組のカップルに共通していることがひとつ。それは二人の幸せな旅の後に待っていたのは男の切腹ということ(涙)。
仁左衛門さんが着ていた紋付の黒の着物。その紋が山南の家紋と云われている丸に右離れ立葵に見えて見えて。
第33回『友の死』のあの冒頭シーンを歌舞伎風にしてもいけるかもしれない。総司も馬に乗って登場ね。

また単なる偶然なのですが、どうでもいいことなのですが、この演目が初演されたのが天保4年(1833)だそうだ。
天保4年は山南敬助がこの世に生まれた年なんですよ。
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by eri-seiran | 2009-10-25 09:20 | 歌舞伎

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