大坂のゆかりの地巡り~距離感~

今日は大阪にての舞台鑑賞の前に、再び山南敬助&新選組が大坂での常宿にしていた京屋跡、山南敬助が不逞浪士と戦った岩木升屋跡、新選組が金銭面で助けてもらい、また山南敬助が不逞浪士と戦ったという説がある鴻池跡、そして山南ゆかりの地ではないけれど、緒方洪庵先生の適塾を巡ってきました。これで何度目だろうか(苦笑)。

先日、小説『竜馬がゆく』で竜馬が岡田以蔵と高麗橋で逢うところを読んで、岩木升屋跡があり、山南敬助も土方歳三も多分に渡った高麗橋に行きたくなって。小説で竜馬と以蔵が逢うのはフィクションでしょうが、でも八軒家船着場に近いから、龍馬を初め多くの志士たちが歩いたんだろうと改めて思ったのです。

それぞれのゆかりの地についてはこれまでも何回も書いているので省きます。八軒家船着場、京屋、岩木升屋、鴻池、適塾についてはこちらとか、こちらより

家を8時に出たら余裕を持って巡れるかな?と思ったのですが、家を出たのが8時40分。JRに乗り、地下鉄に乗り、京阪電車に乗って、八軒家船場跡がある京阪天満橋駅に着いたのが10時半。舞台が始まる時間、梅田まで戻る時間などを考えると1時間ほどで巡らないと間に合わないという状況でした。
まずは八軒家船場跡です。
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そしてここから50m弱、西に歩き、左に曲がると石段があります。ここには何回も来ていますが、初めて蔦がいいな~と気付きました。
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季節もあるのでしょうが、今までは山南も石段を歩いたんだとか、石段を見ながらそんなことばかり考えて歩いていたから。その石段を登れば、北大江公園があり、その辺りが京屋跡です。
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奥のイチョウの木は黄色に色づいてきていますが、手前のイチョウはまだでした。同じ敷地にあってもそれぞれが受けた影響によって違うんだな。
さて北大江公園を通り抜けた所にある一本道を西に向かって10分弱(歩きの早い人であれば5分で行けそうな距離)で高麗橋です。
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山南敬助も土方歳三も確かに歩いたはず、また坂本龍馬も歩いたかもしれない橋です。江戸時代、この橋は幕府管理の十二公儀橋の中でも格式が高かったそうです。それから明治3年(1870)、大阪最初の鉄橋にかけかえられています。明治になってすぐに山南も土方も渡った橋は取り去られ、新しく変えられたのね。
この川が東横堀川で、10月に大阪城・道頓堀コースの川巡りをした時に通った川です。

そして橋を渡って西へ数十メートル歩いた所が岩木升屋跡辺りです。
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ここからさらに西に歩き、堺筋に出て、北へ数十メートル行き、今橋一の筋を再び西へ数十メートル歩いて最初に出合う筋の所に鴻池跡があります。岩木升屋跡から5分くらい。
しかしです。私は鴻池跡に辿り着くまでに洒落たお店を発見。GOKAN北浜本館。お昼御飯はどこかでパンでも買ってお腹に入れなければ舞台に間に合わないと思っていたのに、美味しそうなキッシュの誘惑に負けて入ってしまいました。
ランチセットAを注文し、ゆっくりしちゃいました。キッシュもサラダもケーキも珈琲も美味しかった。満足。また食べ終わった後はお菓子を見て回っていくつか買い、と言うわけでここで30分ほどロス。舞台の開演まで後40分ほどになっていました。慌ててここから1分ほど歩いて鴻池跡へ。
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そしてそこから2~3分で適塾です。
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どちらももう写真だけ。緒方先生、江戸にて仁に逢いましたか?なんって言っている場合じゃない(苦笑)。それから車が停まっていたり、急いでいたために良い角度から写真が撮れず。適塾には以前に来た時よりも人の出入りが多かったような。仁の影響だろうか。
急いで地下鉄御堂筋線の淀屋橋駅に行き、梅田駅で降り、いつもと違う出口から出てしまい、こんな時に限って遠回りに。梅田芸術劇場に無事に辿り着き。ギリギリセーフでした。

今回は山南敬助の大坂におけるゆかりの地の距離感を改めて感じたかったのですが、自分が急ぎ足だったこともあるのですが、前回歩いた時よりもとても近いな~と感じました。そしてこの辺りにおいては山南敬助や新選組だけでなく、私が知る多くの志士たちも歩いたんだろうな~と思った次第です。
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by eri-seiran | 2009-11-22 22:04 |  ゆかりの地

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