今年の3月に若き日の山南敬助が学んだ小野派一刀流の大久保道場跡から試衛館跡まで歩きました。その時のレポは
こちらより
江戸での山南敬助の足跡を辿るという視点から考えると、次は試衛館跡から多摩なんですけれど、あまりにも距離があり、体力的にも時間的にも無理なのでパス(苦笑)。
と言うことで、今度は試衛館跡から伝通院だと決めていました。本当は今年の6月に江戸に行った時、実行する予定でした。そのために試衛館跡に近くて安い宿を探して予約したのですが、色々な理由で延期となりました。理由のひとつに山南敬助らが歩いたのは冬。だから寒い季節に歩きたいということになり。
そこで今回、実行に至りました。
宿は6月の時と同じ所。しかしこの宿から試衛館跡まで歩いたのですが、思っていたより近くなく。ちょっとそれは残念でした。
さて今回、当ブログを訪問してくださっており、また山南敬助について熱心に調べている白兎さんが付き合ってくださいました。
山南敬助が大久保道場からダイレクトで試衛館を訪れたのか、すでに辞めてあちらこちら回っている時に試衛館と出合ったのか、わかりませんが、一人だった可能性は大きい。しかし試衛館から伝通院に行く時には一人でなく、試衛館の同志の誰かと一緒だったはず。或いはみんなで。一人だった可能性は少ない。
そんなことを考えると、今回、一人でなく白兎さんと一緒に歩けたのはとても有り難く。白兎さんは私より随分と若いということで、山南敬助に浸りながら歩く私としては藤堂平助と一緒に歩いている気分になっちゃいましたよ。山南敬助と藤堂平助の年齢差より随分あったんですけれどね(汗)。
さて、今回の試衛館跡から伝通院までの道程は、『「新選組」土方歳三を歩く』(山と渓谷社)を参考にさせて頂きました。すみません、山南敬助を歩くになってしまいましたけれど(苦笑)。
試衛館跡からまず住宅街を歩き、途中で大久保通りに出ました。神楽坂上の交差点から神楽坂通りを歩き、神楽坂下の交差点で外堀通りを左に曲がって地下鉄南北線の飯田橋駅を通り過ぎ、飯田橋の大きな交差点の歩道橋を渡り、小石川運動場を右手に見ながら細い道を歩き、牛天神下の交差点、安藤坂の交差点を通り、後は安藤坂をまっすぐ行けば伝通院にぶつかります。
わかりにくい説明ですみません(汗)。しゃべりながらゆっくり歩いて約1時間でした。
ここに辿り着くまで白兎さんと、山南敬助についてただひたすら話し続けました。山南敬助についてよく調べており、私の方が色々と勉強させて頂きました。また若いっていいな~と思いました。山南敬助も平助と一緒に歩きながら、平助に教えられたこともあっただろし、また若いっていいな~って思ったかもしれません(笑)。とても楽しく一緒に歩かせて頂きました。ありがとうございました。
さて3月に大久保道場跡から試衛館跡まで歩いた時、牛込橋を渡って神楽坂下まで出て、そこからは違う道を歩いて試衛館跡まで辿り着きましたが、伝通院に行くにも違う道もあっただろうけれど、今回、試衛館から神楽坂下まで辿り着いたわけです。これは感動でした。
史実の山南敬助についてはわかりません。しかし外堀に架かっている橋を渡って外堀を越え、試衛館に出合ったのは史実。
私が外堀を越えた時に渡ったのは牛込橋。そして今回、伝通院に向かう途中でここに再び出合い。この橋を渡れば外堀の内。自分はあの橋を渡って外堀を越え、試衛館に辿り着いたんだと感慨にふけてしまいました。
次は伝通院から中山道を歩いて京なんですけれど、多摩よりずっと難しいのでパス。
と言うことで、史実は全くわかりませんが、昨日の記事で触れたように可能性としては全くないとも言えないし、ちょっと距離感を調べたいので、北辰一刀流の玄武館から大久保道場跡まで歩いてみたいなと考えております。
と言うか、実は昨日、実行する予定だったんです。実行しようと決めたのはその日の朝で、体力的に大丈夫だと思えたから。
しかしホテルから東京駅のコインロッカーに荷物を預けるのに体力を使い果たし、玄武館に辿り着くまで時間がかかってしまったから、断念したわけです。
次回こそは、玄武館から大久保道場へ。